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日本ワインの歴史…初めて飲んだのは?どんなワインか?を妄想する

先日「日本で初めてワインを飲んだのは誰だったのか」という話題において色々な意見があってとても面白かったので、今日はそのテーマについて改めて思ったことや調べたことをまとめてみたいと思います。


この手の話に関してはお約束ですが諸説ありますので断定は出来ませんが、色々考えをめぐらせながらワインを嗜むのも悪くないのでは?ちょっとしたウンチクトークにも使えますのでぜひ参考にしてみてください。


なお、本記事における検証は完璧ではない部分もあります。もしもご意見やご指摘がある際はぜひお教えいただけると幸いです。

日本のワインの歴史は15世紀に遡る?

珍蛇(ちんた)酒

ワインにまつわる文献を紐解くのは実に難しい。なぜなら、日本に初めて"ワインらしき"酒が入ってきた時、それはワインと呼ばれていなかったから。つまり文献にも具体的に"ワイン"という言葉で記載されていない可能性があるのが厄介な点。


通説としては日本におけるワインはポルトガルから伝来したと言われていて、珍蛇(ちんた)酒と呼ばれていたそうです。これはポルトガルのワイナリーを指す"キンタ"から来たとされる説やポルトガル語の赤ワインを意味する"ヴィニョ・ティント"のティントから来たとされる説がありますが、普通に考えたら後者が有力でしょうね。

珍蛇(ちんた)酒はいつから日本に合った?

では、この珍蛇酒はいつ頃から日本にあったのかというと、キリンの資料を参考にすれば1483年に葡萄酒である珍蛇酒を飲んだと言う記述があるといいます。さらにさかのぼって1466年には"南蛮酒"(="葡萄酒"と読めるような記述)が出てくるそうで、15世紀半ばには"ワインらしき飲み物"がすでに日本に何らかの経緯で多少なりとも存在していたことが推測されると言えるでしょう。


ワインの歴史に関する書籍は数あるが、こちらは日本人がまとめたワインの世界史。歴史におけるワインの世界的な意味合いや立ち位置を知ることで見えてくるものもある。

日本で初めてワインを飲んだのは誰だったのか?

日本で初めてワインを口にしたのは誰か・・・というのを妄想するのはワイン愛好家、歴史愛好家からすればロマンのある話です。よく挙げられる人物で言えば織田信長が日本で初めてワインを口にした・・・なんていう風に言われる事がありますが、まぁ、まずありえないでしょうね


そもそも異国の飲み物であったワイン。それこそ信長がワインを見て「まるで血のようだ」といったという話もあるそうですが、そんな異国人の持ち込んだ得体の知れない液体を信長がいきなり口にすることなんて普通に考えたらあり得るのでしょうか。まずは誰かしら毒見するのが普通なのでは、と思うわけです。


また、前述したように、15世紀半ばにはすでにワインらしきものが国内に持ち込まれていたようですから、それをワインとして括るのであれば、信長の生まれる半世紀前には記録にも残されていない誰かがワインを口にしていてもおかしくありません。


さらに、記述に残されたものを調べていくのであれば、ジョアン・ロドリゲスというイエズス会士でカトリック教会司祭が記した「日本教会史」という書物の中に、かの有名な宣教師・フランシスコザビエルがたどり着いた薩摩、すなわち今の鹿児島を統治していた島津貴久に謁見し、携えていたワインを飲んで貰ったということが書かれているそうです。((ザビエルが貴久に謁見したのは1549年。信長は当時15歳で家督を継ぐよりも前である。)

宗教的な意味合いも持っていたワインは、宣教師にとっては非常に重要なアイテムであったことでしょうし、それを布教相手に飲ませるのは儀式的な意味を持つ行為だったのではないかと推測出来ます。


いずれにせよ、記述に残されていない部分まで考えたとしても、日本で初めてワインを口にしたのは織田信長のような歴史的偉人ではなかったであろうことは想像出来そうです。

始めて日本に伝播した際に飲まれていたワインってどんなものだろう?

さぞかし酸っぱいワインではあったのでは・・・という疑問

記述を信じれば15世紀半ば頃には既に日本にもたらされていたワイン。気になるのはお味です。


気温や振動といった要素に極端に弱いワインというお酒が、いったい当時の環境で海外から日本へと経持ち込まれた際に、まともな味であったのかどうかは疑問が残ります。


ザビエルもポルトガルを出発して夏頃に日本に到着していますから、比較的高い気温の中を航海してきているはずですし、そうでなくとも冷蔵庫も無く振動も多い当時の船旅によって運ばれてきたワインは劣化が進み、非常に酸っぱいものだったのかもしれません。


そう考えると、例えば記述によるとザビエルのもたらしたワインを飲んだとされる島津貴久などはどのような心持ちでそれを飲んだのでしょうね。もはや宗教上の儀式として、味とか云々ではなく飲まされたに近い状況なのではないかと勘繰ってしまいますが、下手をするとアルコールすらまともに残っていなかったかもしれませんね。

酒精強化ワインが持ち込まれていた可能性も?

ポートワインやマディラワインは保存性も高い

もう一つの可能性として残るのは、ポルトガルの名産であるポートワインやマディラワインといった酒精強化ワインが持込まれていた可能性です。酒精強化ワインはその名の通り何らかの手段を用いて人為的にアルコールを強化しているワインで、保存性も普通のワインと比べると段違いです。


加熱工程が加わるマディラは一世紀近くの時間を耐え抜くと言われていて、筆者も以前に1800年代のマディラワインを目にしたことがあります(飲んだ方による美味しさを保っていたそうです)。ポートワインであれば50年くらい前までのは飲んだ経験がありますが、アレは至高のお酒でしたね。


ポート、マディラともに甘みも残っていて(製法上糖分がワインに残っている)アルコールも高め、マディラに関してすでに加熱されているため輸送にも向いていたはずですから、もしかしたら外行き用のワインは酒精強化系であった可能性もあるのではないでしょうか。

結果的に酒精強化ワインらしきものを飲まされていた?

ただ、ポート、マディラ共にポルトガル固有の酒として製法が確立されるのは17~18世紀ころまで待たなければなりません。となると日本に珍蛇酒がやってきた時にはまだポートやマディラは確立されていなかったワケです。


一方でポートワインはそれらしきワインの生産が13~14世紀頃から作られていたと言われていますし、マディラに関しては加熱処理するという工程自体が船旅の際に自然と加熱された結果美味しくなっていたことをヒントに生まれたと言われています。つまり日本に辿りついたワインがポートワイン的なものであった可能性や、船旅によって結果的にマディラのようになっていたお酒だったことは否定しきれないのではとも思います。


ポートワインやマディラについての日本語の関連書籍は少ない。まだまだ認知度の低いお酒だということだろう。


いずれにせよ、長い航海に耐えるためにワイン自体になんらかの工夫を施した可能性も少なくありません。当時の日本人がポルトガルからもたらされた血のように赤い酒にどのような感想を抱いたのかは興味深いですが、もしかしたら案外「こういうものなのだろう・・・」と見ず知らずのお酒に対して評価を下していたのかもしれません。


本当の意味で美味しいワインを日本人が楽しめるようになるのはここから何百年も先の話、そもそもまともなワインとの比較すら出来ないわけですからね。


www.oishikerya.com


まとめ

こうやって思いを巡らせてみると改めて「お酒とは文化だ」と思わされますね。ヨーロッパで生まれた、当時の日本人からすれば異形なお酒が、初めて日本にやってきてから何百年も経つ過程の中で少しずつ生活に浸透し、ここ数十年でワインに対する水準は日本でも劇的に向上しました。


嗜好品ですからマニアックに追求していくのもいいですが、そうやって少しずつ受け入れられてきたワインという文化をありのままに楽しめる度量のある酒飲みとしてありたいものですね。



本文中でも言及したポートワインやマディラワインはデザートワインという分野でも括られています。同じくデザートワインとして有名な貴腐ワインやアイスワインについてはコチラも。
bollet.hatenablog.com


ワインについての見識を広げて、文化としてのワインを楽しんでみましょう!